出身校:城西川越高校
私は、高校入学とともに、硬式野球部に入部しました。
一年生、二年生の時は、授業は真面目に受けていましたが、模試などの実力は高いどころか文系総合で四十台、悪い時には三十台の偏差値しかとれず、受験はまだ先のことと思い、特に勉強していませんでした。
だからといって、成績について、悲観的であったかというとそうでもなかったと思います。
実際全く勉強してこなかったので、やり始めさえすれば、できると無意識に思っていましたし、好きだった日本史は、全国模試でも70前後の偏差値が取れていたので、他の科目もなんとかなると思っていました。
ただ、一年上の先輩の合格実績が校内に貼り出されるのが目に入るようになり、受験まで一年を切っていることを実感し始めると、部活を続けながらも言いようのない焦りがそんな私の中にも湧いてきました。
夏には、最後の大会が控えており、部活もこれまで以上に練習が厳しさを増しつつあった3月の初旬に私は、部活と両立できる予備校ということで、SG予備学院に入会しました。
とはいえ野球部の練習は、予想以上に忙しく、6月頃までには、指導員の方に作成してもらった学習計画表と、アドバイスを受けて始めた日本史のまとめノートを作るのが精一杯でした。
ただ振り返ると、部活引退まで両立して勉強を進めたことが、後々とても力になったと思います。
あとは、とにかく早いスタートが切れたのが、受験の最後の追い込みでプラスになったと思います。
部活を引退してからは、急に増えた時間を有効に使いきることが思うようにできず、悩んだこともありましたが、指導員の方と話し合う中で、苦手の古文に集中すること、また得意な日本史は絶対的な得点源にすること、そして、赤本の演習を時折行うことにより緊張感をもって机に向かうことを徹底しました。
授業を取り始めたのは、夏期講習からです
。ここで、模試でつまづいていた英語長文の読解法、学校で授業を受けていなかった日本史を受講することにより、偏差値は60にくるようになり、このあと校内順位も私立文系では、上がり続けました。9月に入ると、勧められた現代文も含め、全力を尽くす態勢を整えました。秋に入り、周りが受験に向けて勉強を始めたので、成績が伸びなくなってきて、気づいたら、スランプにおちいっていました。
しかし、指導員の方の支えもあり粘り強く授業の復習や、春先に始めていた日本史のノート作りに没頭することができました。
そうして臨んだ一般受験は、厳しい結果を初めは突きつけられ、浪人が頭をかすめる瞬間さえありましたが、最後の最後に憧れていた青山学院大学の合格通知を受け取ることができました。
こうして、振り返ってみると自分自身の力を信じ、また自分以外にも私のことを信じている人が常にそばにいてくれたことが、このような結果につながったのだと思います。
これから受験を迎える皆さんにも、最後まで自分を信じ、最高の結果を追い求めてほしいと思います。